23/12/02 紀の川市長 岸本 健 先生

岸本先生は本日、鞆渕で黒豆の収穫のお手伝いをし、その後「青洲の里」でのマルシェに顔を出して、地域の人たちの声にも耳を傾けたうえで、作業服のまま、かつらぎ熱中小学校の教室に時間通りお見えになりました。なお鞆渕は6月3日の災害で、被害の大きかった地域です。

 

目次

教員時代

政治家として、国会議員であり県会議員であり、現在は市長を務めている岸本先生は、政治家以前は学校の先生だったわけですが、お父様が政治家であり教育者であったことで、そうなる環境が身近にあった影響が大きかったとおっしゃいます。

 

教員時代には那賀高校を経て印南中学校、長谷毛原中学校(旧美里町)で教鞭をとりました。サッカーの指導者になりたかったそうですが、サッカー部がなかったので、その分クラス運営や授業にどっぷりつかっておられたそうです。自分自身が素晴らしい先生に出会ってきたため、そのようになりたいと考え、そのお陰で自身もそうなることができたと話されました。

 

政治家として 

ところが31歳の時にお父様の光造氏が61歳の若さでお亡くなりになり、転機が訪れます。周囲からの「当然出るんだろ」という声に背中を押されるように衆議院選挙に出馬し、当時5年間で3回の選挙(年金、郵貯選挙)がありましたが、2回目で比例選挙区で当選したものの、3回目は落選、精神的に目一杯だったそうです。

 

しかしながら、「県会から(1から)やり直せ」というまわりの声に背中を押され、県議会議員として15年間、県議会議長も務め、議員としての力もつけて、ずっと取り組みたいと考えていたテーマとして、農業振興や子供の教育についての改革を推し進めてこられたそうです。

 

すると今度は前市長である中村市長が急逝し、周りから「お前しかおらんやろう」という声が上がり、自身も前に向かってじっとしていられない性格でもあり、

「みんなからの気持ちを受けとめてやるしかない」

と決意したのだそうです。現在、市長としての経歴は2年足らずです。

 

 

紀の川市の現状

紀の川市は5市町合併により、18年前に誕生しましたが、当時の人口は7万人であったところ、現時点では5.9万人であり、岸本先生は6万人にまで復活させることを目指しています。6万人復活がなければ、市の今後の発展はないと考えておられるそうです。

 

まず対策として取り組んだのは、

①お年寄りに長生きしていただくこと(フレイル対策など)

②自然減をカバーできる社会増を実現すること

の二つです、実際に先月は17人社会増となっており、内容的には30~40歳代の子育て世代で増えており、小学校のクラスを増やしたり、校舎を1棟建て増す必要も出てきているということです。

 

また、具体的な施策として、小中学校の学校給食無償化や子供の医療費の負担を、中学生までだったものを高校生まで延長するだけでなく、19~24歳に対しても助成対象としました。(市内にある近畿大学生物理工学部を意識)

紀の川市内には残念ながら産婦人科病院がないため、出産応援給付金を手当てし、子育て応援給付金と合わせて1億円を用意したのだそうです。

岸本先生の施策は、紀の川市で暮らす住民に心豊かな生活を送ってもらいたいということにつながっています。

 

これからの農業政策

紀の川市の農業生産額は県内市町村でトップ、地元の「めっけもん広場」は売上高26億円と国内トップクラスにあって、八朔で生産高日本一、また荒川の桃のブランド力は説明するまでもないところですが、ここに留まらず、JAなどとも協力してイチゴ農家として就農してもらえるような取り組みをしたり、またフルーツ王国として、バナナの生産にも目処をつけることができたそうです。(果樹で栽培の目処がついていないのはパイナップルだけだそうです)

 

岸本先生は六次産業化にも取り組み、加工品や作物からのエキス抽出の可能性を探っていくことは農業発展のために必要だと考えていますが、但し生果自体にも、まだまだ可能性はあると思っています。八朔は固くて皮を剥くのが大変な果物ですが、皮剥き器を使って簡単に食べてもらうことができます。(これは、生徒からの質問への回答)。

 

ただ、和歌山県は農業県なのに、全国で大学の農学部がない3つの県のひとつであり、何とか農学部を誘致したい、と先生は実際に動き始めています。

現状では、梅を代表とする県内産品の研究委託を県外の大学に委託しなければならず、しかも研究費は高額なのだそうです。県内産品の研究は県内でして、県外に売っていきたい、というのが本音です。

実は大学誘致申し込みは既に受け取ってもらっており、ただ個別に具体案となるとマッチングが難しい状況にあるのだそうです。

 

紀の川市の観光について

観光については、これまで余り取り組んで来ていないと先生は評価しているそうです。貴志川電鐵のたま駅長については、コロナ禍以前を上回る勢いで外国人観光客が訪れているのですが、終点の貴志駅周辺を見渡すと何もない状況。

観音寺フルーツパーラーは、東京の銀座や表参道にも出店をする勢いであるものの、紀の川市としては上手く関わることができていない。

そのように、農業面・観光面で良いものを持っていながら、これまでは積極的に観光へと取り込む施策をしてきていなかったとのことです。

岸本先生は、なぜ今まで何もしてこなかったのかと問いかけつつ、これからの施策をいろいろ考えているところだそうです。

 

未来に向けての取り組み

紀の川市の良さを、いかに外に向かって発信するか、それもこれからの大きな課題だと先生は考えています。発信力がなければ自己満足に終わってしまい、子育て支援策なども紀の川市だけではなく、両隣の市町の住民にもアピールしてゆきたいそうです。

 

公共事業については、紀ノ川インターチェンジから上之郷インターチェンジまでトンネルを通して直接つなぎ、関西国際空港まで15分間で行けるようにしたいという構想を持っており、既に重要物流道路の候補として承認されているとのこと。

大阪府、奈良県も含めての24市町、更にここにきて24市町の商工会議所にも加わってもらい、実現に向けて推し進めているところです(ただ簡単にはいかない)。

この道路は物流上だけではなく、災害等で湾岸が被害を受けたとしても、関西空港から京奈和道路を通じて奈良(南→北)→京都へとつながる、畿内外環道路としても大きな役割を果たします。

でもやはり一番には、朝採れの荒川の桃が関空を飛び立ち、その日の夜には台湾や香港のディナーに供されることで、結果として地元農家の手取り収入の増加につながってほしいと先生は願っておられます。

 

10年後に向けて

岸本先生は市民の皆さんや職員、それぞれの話をよく聞いた上で政策を進めていきたいと考えています。やっていないこと、或いはできないことがあったなら、必ずそれはなぜなのかと問い、周囲の人たちに相談するそうです。(24歳までの医療費助成も職員のアイデア)

10年後の紀の川市の姿を考えると、(10年後に「誰がこれを決めたのだ」と糾弾されるかもしれず、不安だし、孤独でもあるが)「やってみぃなー」と、これしかないと考えているとのことです。

 

岸本先生、お忙しい中、未来に向けてのたくさんのお話をどうもありがとうございました。

 

(授業レポート 小林一行)

                               



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