元オフコース・ドラマー/ボーカリスト/プロデューサー/秋田県出身 大間ジロー先生 授業レポート
4月1日、第二期1回目の授業、2時間目は元オフコースのドラマー、大間ジロー先生でした。最初は皆、なんとなく緊張しているような雰囲気でしたが、
「みなさん、もっとリラックスしてくださいよ。小田さんじゃないんだから」
と大間先生が場を和ませてくださり、徐々に空気がやわらかくなってきました。
最初に大間先生が話してくださったのは、ヒット曲の要素となるものについてでした。
・曲、メロディが心地よさとして入ってくるか。
・言葉、歌詞が心の琴線に触れるか。
・アーティストの声の質はどうか。
・アレンジ、リズム、テンポはどうか。
大間先生はリズム、テンポに大きな役割を果たすドラマーをオフコースで13年間続けてこられました。ただ途中、コーラスのためのマイクを外され、小田さんに
「リズムに専念してほしい」
と言われたそうです。
「音が外れていたんでしょうかねえ」
との大間先生の言葉に、教室中、どっと笑いが起きてしまいました。
時代によって歌は変化してゆく
大間先生が授業で最初にあげた楽曲はback numberの『アイラブユー』。NHKの朝ドラ『舞いあがれ!』の主題歌です。最近の歌詞は大間先生にとって共感が難しいものもあるそうですが、この歌はありふれた風景を描きながら「君を幸せにする」ことを表していて、それは時代を越えたものを感じるとのことでした。
反戦や社会批判の楽曲が主流となっていた1960年代を経て、1970年代にはフォークソングブームが到来、赤い鳥、吉田拓郎、井上陽水などが活躍します。同時代のライバルとして大間先生が授業で取り上げたのは以下の3曲でした。
・『神田川』かぐやひめ
大間先生にとって衝撃的だった同棲の歌。風景が見えてくる抒情派フォーク。
・『冬の稲妻』アリス
ノリがよくわかりやすい歌詞。コードが簡単でコピーが容易。
・『心の旅』チューリップ
インパクトのあるサビ始まりの歌。深夜ラジオで音楽を聴く若者が多かったため、3分以内で収まる歌が求められた。ラジオで流してもらえるかどうかが、購買力につながった時代。
当時、地味な二人組だったオフコースはなかなか売れず、ドラムはアリスの矢沢透さんが担当していたそうです。『眠れぬ夜』『秋の気配』『愛を止めないで』と、いずれもスマッシュヒットにとどまっていた中、やっと1979年『さよなら』が80万枚を売り上げる大ヒット。そんなオフコースに大間先生は1976年からドラマーとして加入、13年に渡って活動を続けた後、今に至っています。
歌詞を深く考えてみる
授業ではあらかじめホワイトボードに『眠れぬ夜』の歌詞が書かれていました。
「これは小田さんが作ったものです。ご本人のことではないかもしれませんが、小田さんが考えた歌詞ですよね」
と言いつつ、大間先生は何だか楽しそうな表情です。
「よく見てみると、これはまあ、なんともひどくないですか。女性がひざまづいても許さないドS。何気ない言葉で傷つく……良かれと思ってかけた言葉に傷つくなんて、ちょっと繊細すぎますよねえ」
先生の言葉に、教室ではあちらでもこちらでも笑い声。
生徒の中からは、
「一番は見栄を張って強気でいるけれど、二番は情けない言葉が並んでいますよね。素直ではない男性の姿が見えてくる気がします」
「明るくテンポのよい曲だからか、それほど深刻な感じがしないです」
と、さまざまな読み方が出てきました。
この歌で大間先生が伝えてくださったのは、歌詞を深読みすることの大切さです。深く歌詞を考えることで、他人とは違う自分なりの捉え方が見えてきて、より楽曲を楽しむことにつながります。
「みなさん、小田さんのあの声にだまされてはいけませんよ」
大間先生の言葉に教室はまた笑い声に包まれました。
エゴというもの
授業で大間先生は、アーティストの思いにも触れてくださいました。最初は誰もが「売れなくても良い歌を作りたい」と思うそうです。それが受け入れられ、大きなヒット曲が出ると、その次が難しいのだとのこと。「もっと世間に受け入れられる歌を」と考えた時点で自我が強くなり、エゴが出すぎて「すべって」しまうことが多いのだそうです。
エゴというのは厄介なもので、メンバーそれぞれのエゴが強くなりすぎると、バンドが解散してしまう原因ともなりかねない由。
また、大間先生は大谷翔平さんの「成功チャートを記したノート」についても触れ、そこにはご先祖さまや神仏を尊ぶくだりが書かれているのだと教えてくださいました。
寺社を参拝する際には自分の利益(エゴ)を前面に出すのではなく、
「他の人のため、このように働いてゆきたいと思います。どうかよろしくお願いします」
と祈るのが、本来の願掛けだということです。
大間先生の思い
大間先生は子どもの頃、小児ぜんそくで体が弱かったのだそうです。皆と同じように野球をしたかったもののそれは叶わず、小学五年生から始めたブラスバンドでもトランペットなどの楽器はできませんでした。
でも高校三年生の時、秋田から単身、武道館でのレッド・ツェッペリンのライブに行った際、
「自分はプロになって、客席ではなく舞台に立つ」
との確たる思いが湧いてきたそうです。
「頑張れ」と背中を押してくれたのはお母さんだけでしたが、大間先生はその夢を実現させるためのシュミレーションを組み立て、実際に7年後、オフコースの一員として武道館のステージに立つことができました。レッド・ツェッペリンのライブのチケットを大間先生は今も大切に持っていて、私たちにも見せてくれました。
「みなさん、どうかご自分の子どもさんやお孫さんの大事な芽を摘まないでくださいね。そんなことできるわけないだろ、とせっかくの芽を摘み取ってしまう大人があまりにも多いんです」
と、大間先生。
確かに大人になれば、夢は夢、現実は現実、と分けて考えることが常識となってしまいます。でも、夢は現実へとつながってゆくこともあるのだと、大間先生は教えてくださいました。
授業を終えて
私はちょうどフォークからニューミュージックへの移行期に中学時代を過ごし、深夜ラジオを流しつつ受験勉強をしていた世代です。足もとに置いたラジカセから流れてくる、少しノイズの混じった『Yes-No』を今でも懐かしく思い出します。
当時はカセットテープに録音したり、友だちとアルバムの貸し借りをしたり、時にはコンサートにも足を運び、日々の生活にオフコースの音楽がある、そんな毎日を送っていました。
でも、実はドラムを意識して聞いたことは一度もなく(冒頭のドラムが印象的な『君が、嘘を、ついた』は大好きです)、大間先生の授業を受ける前にオフコースの楽曲を改めて聞き直してみました。
あのころと変わらず、オフコースの歌は一曲ずつがひとつの物語。そうして、どの歌においてもドラムは「時」を刻んでいるように思いました。目には見えないけれど、確実に移ろってゆく時間。歌の中にも流れる時間を、ドラムは無慈悲に、また時には温かく刻んでいるように感じました。
ところで、かつらぎ熱中小学校での授業の日、私はレポートを担当していたこともあり、一番前の席へ坐らせていただきました。そのため時々、ちらりちらりと大間先生が手にしているノートが目に入ることがあったのですが、そこにはびっしりと書き込みがされており、先生の授業への熱意を垣間見た気がして、とてもありがたく思いました。
授業の最後に間近で聞かせていただいたドラム演奏は全身に響き、音と振動のうねりが教室全体を駆け抜けてゆくさまは凄みを帯びているほど。本当に貴重な体験でした。
現在、大間先生は津軽三味線奏者の黒澤博幸さんとユニットを組み「Soul & Beat TEN-CHI-JIN」として活動されています。東日本大震災の復興にずっと関わってこられ、今年の3月11日にもメッセージを発信されています。ぜひ、こちらをご覧ください。
「Soul & Beat TEN-CHI-JIN」オフィシャルサイト
大間先生、楽しい授業をどうもありがとうございました。
サプライズでいただきました「校歌制作」、今、実行委員会が生徒から寄せられた歌詞をまとめているとのことです。引き続きよろしくお願いいたします。
(授業レポート ライター部・大北美年)
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