紀州かつらぎ熱中小学校の校長を務めてくださっている、八塚政彦先生。
第三期の授業の締めは、八塚校長先生の「人生における出会いと私が学んできたこと」でした。
粉河小学校
八塚先生の人生において最初の大きな出会いは、小学6年生の時の担任・木村義巳先生でした。
「やまびこノート」は先生との交換日記で、自分自身の気持ちを綴ると、それに対して先生の考えが返ってくる、というもので、八塚先生が物を書くことに興味を持つきっかけとなったそうです。
また、写生の授業の際、上手に描いているクラスメイトの作風を真似して仕上げたところ、「人マネをするな!」
と、木村先生から大目玉を食らったことも。
『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎 著)という本との出会いに加え、木村先生からも「どう生きるのか」と問いかけられ、八塚先生にとって、自分の生き方について考える「根」のようなものが育まれた時期だったのではないかと思いました。
粉河中学校
中学時代、八塚先生は軟式テニス部に所属。親切な先輩に恵まれ、遠くにボールを飛ばしてしまっても、それを拾いに行ってくれるような関係性から、「チームというのは認め、認められてこそ成立する」ということを学んだそうです。(当時の副キャプテンがかつらぎ熱中小学校の生徒、仲谷淳さん)
また、中学を卒業して働くことが決まっている同級生から、左官としてやっていくんだ、と、堂々と生き方の宣言をされたことから、
「自分は何も考えていない」
と、同級生に対して初めての敗北感を味わったそうです。
清風南海高等学校
記憶力と計算力重視の受験勉強に暗澹とした気持ちを抱いた高校時代。そこで八塚先生はギリシャ哲学と禅に出会います。
禅は直感で悟る「不立文字(ふりゅうもんじ)」。文字で説明できないものを、宗教の授業として学ぶことに矛盾を覚えつつ、「般若心経」の最後の一連、「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)~」があらわす「皆で一緒に真理に向かっていこう」との言葉に惹かれたとのことでした。
進路については消去法で、医者、弁護士、政治家、となりたくないものを消してゆくと、農学、エネルギー、医療関係などが残り、「耳かき一杯で人が生き死にをする」薬学を選んだのだそうです。
ただ、京都大学薬学部入試の直前、風疹に罹ってしまい実力を発揮できず、先生は予備校に通うこととなりました。
予備校時代
予備校には京大や阪大に落ちた人が多く集まっており、「優秀な人はどこにでもいる」のだと八塚先生は認識を新たにしたそうです。
また、友人の祖母(お大師様の拝み屋さん)から「こんなめでたいことはない」と前向きな言葉をかけられ、体を動かせ、腹いっぱい笑え、光明真言を唱えろ、と鼓舞されたことも、ありがたい出会いのひとつでした。
たまたま報道で訃報を知った、立命館大学総長の末川博さんのシンプルな生活信奉や、戦争を違憲だとして京都大学を追われた経緯に惹かれたことから、再び、
「京都大学を目指そう」
との考えに至ったのだそうです。
京都大学薬学部・大学院
京都大学はとても自由な校風で、豊かな芸術と歴史に囲まれた町で先生は10年間を過ごしました。
薬学部では、サイエンスの合理性・重要性を学び、
「辻褄が合うよう、理屈が合うよう、こつこつ石を積んでゆかなくてはならない」
その訓練ができたとのこと。
この時期、精神面では、
「自分の感情によってモノの見方は変わってしまう。そんな自分は他人に多大な迷惑をかけてしまうのではないか」
との不安に苛まれ、ギリシャ哲学や仏教について掘り下げて考えていたそうです。
そうして出会ったのが「根本(こんぽん)仏教」でした。
「人生は苦」に違いないけれど、原因を見つけて対処法を説く「八正道」が示されており、このように論理的なものが文字すらない紀元前に存在していたことに、先生は深く感銘を受けたそうです。
そして、
「自分を正しく律するためには、いつも自分に問いかけるしかない」
との考えに至りました。
また、宮城教育大学学長・林竹二さんの生き方(学生運動の真っ只中、毎日バリケード前に立って学生に語りかけたところ、次第に学生たちは心を動かされ、宮城教育大は唯一、自主的にバリケードを解いた大学となった)を知り、
「本当に知れば、その人は変わる」
そのことを八塚先生は学んだとのことです。
ゼネル薬工粉河株式会社・伊都株式会社
父の後を継いで、八塚先生はゼネル薬工株式会社に入社、OTC医薬品(ドラッグストアなどで手に入る市販薬)の企画・開発・承認申請・製造等に携わることとなりました。
ところが、それは大学の薬学科で学んだサイエンスの世界ではなく、前例主義やさまざまな規則に縛られ、場当たり的なルール変更に翻弄される世界でした。
例えば「オーバードーズ」について。生きてきた環境やさまざまなマイナス要因が背景となり、薬の乱用に依存してしまうことで、問題は薬そのものではなく、それを使う人間の側にあります。にもかかわらず厚生労働省は、多量摂取が悪いのだから薬の販売そのものを規制する、という方向に動いているのだそうです。
他にも納得できない事例が数多くあり、
「このままでは、いずれOTC医薬品は廃れ、必要な人に必要な薬が届かなくなる」
と、八塚先生は強く懸念しています。
OTC医薬品について
最後に先生は、薬の開発の過程や自社で販売されている医薬品の成分・効能について詳しく説明してくださいました。
新しい薬を開発するには有効性と安全性を確認するため、承認基準に沿って多くの実験をおこない、販売の許可を得ることが必要です。どこかひとつでもつまずくと、また最初から実験をやり直さなくてはなりません。
また、苦い薬を飲みやすくするためのコーティング、胃の中で成分がきちんと溶けるための崩壊性にも配慮し、他社との差別化を図るため、生薬など伝統的な薬学の知識も必要です。
このようにして作られている工程や効能の複雑さを知れば知るほど、身近にあるOTC医薬品のありがたみを強く感じる内容でした。
授業を終えて
小学6年生から始まった、八塚先生の心に残る人との出会い。先生はその出会いを表面的なものに終わらせず、得たことをしっかりと自分のものとされてきたように思います。
禅や根本仏教についても納得のゆくまで掘り下げ、そこから自分自身を見つめ直し、木村先生の提示された「どう生きるか」の答えを、今もずっと求め続けているのではないかと感じました。
日常生活はさまざまな雑事にあふれて、自分の生き方など考えることなく流れてゆきます。
でも今回の授業を受けて、時々は立ち止まって自分自身を振り返る、その大切さを教えていただけたようにも思いました。
少しお腹の具合が悪い時や、軽い風邪の症状がある時など、OTC医薬品は本当にありがたく、安心感につながるものです。
厚生労働省の働きが健全化し、これからもつつがなく手に入るものであってほしいと願っています。
最後に見せていただいたカワセミの写真からは、自然の生き物の美しさを感じました。
人も生き物も、出会いは一期一会。それを大切にされている八塚先生の授業はとても興味深いものでした。
貴重なお話をどうもありがとうございました。
(授業レポート:ライター部 大北美年)
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