2023/01/07 株式会社集英社クリエイティブ顧問 鈴木晴彦先生 授業レポート

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株式会社集英社クリエイティブ顧問 鈴木晴彦先生 授業レポート

1月7日、第4回目の授業の1時間目は(株)集英社クリエイティブ顧問 鈴木晴彦先生でした。鈴木先生は1978年集英社に入社、22歳で少年ジャンプに配属、32歳でスーパージャンプに移動、『キャプテン翼』や『JIN』の編集を担当されました。50歳ではマーガレット編集長、52歳でりぼんの編集長となり、『ベルサイユのばら』『エースをねらえ』『花より男子』など話題作満載の少女誌を牽引しました。
少年誌、青年誌、少女誌すべてを経験してきたことから、2012年には集英社全コミック担当取締役から常務取締役に。「42年間の至福のマンガ編集者人生」と語る鈴木晴彦先生に、少年ジャンプの勝因とマンガ界の歴史を伺いました。

なぜ日本のマンガは世界中を席捲したのか?

きっかけは1947年に刊行された『新宝島』(手塚治虫)。40万部の大ヒットとなり、当時小学生だった藤子不二雄AF、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、さいとうたかを、松本零士などそうそうたるメンバーが、手塚治虫を目指してマンガを描き始めるきっかけとなりました。太平洋戦争に負け、何もない戦後の焼け跡から生まれたのは、紙とペンがあれば作れるマンガという二次元のエンタメ。そこに若い才能が次々と集まり花開いたのです。

後にマンガは「子どもが勉強しなくなる」とPTAの不評を買った時期もありましたが、時を経て、親自身がマンガを読んで育った世代になると批判はほぼ消滅。現代では不登校になった子どもがマンガを読んで救われることもあり、鈴木先生は生活の基本は「衣・食・住・マンガ」だと考えています。

少年ジャンプの道のり

少年ジャンプの創刊は1968年(昭和43年)。1959年創刊の少年サンデー、少年マガジンが共に全盛期を迎えていた時代でした。そのため当時、人気を誇っていたマンガ家には連載を受けてもらえず、新人マンガ家の発掘に力を入れる「新人主義」に。それが功を奏し、『男一匹ガキ大将』(本宮ひろ志)、『ハレンチ学園』(永井豪)が大ヒット。少年ジャンプは10年間で200万部の売り上げを達成することができました。

少年ジャンプでは新人マンガ家には若手編集者が担当に着いて運命共同体となり、他のバディよりもいち早くヒット作を生み出せるよう切磋琢磨する、というシステムを取り入れています。ヒット作が出るまでこの運命共同体は続くのですが、7年ほどトライしても結果が出なかった場合には、新人マンガ家も編集者も共に少年ジャンプから居場所がなくなるとのこと。容赦のない競争が繰り広げられている世界だと感じました。
この「新人主義」と、もう一つ「アンケート主義」(読者アンケートの順位を重視すること)は創刊時の編集長、長野規さんが打ち出したもので、現在も少年ジャンプ編集部の柱として、ずっと歴代の編集長に受け継がれているということです。

また、創刊から年を経て成熟してきた少年ジャンプでは、すでにヒット作を出している先輩マンガ家への新人マンガ家の挑戦がおこなわれています。

『ドラゴンボール』の鳥山明に挑んだ『ONE PIECE』の尾田栄一郎。

『ONE PIECE』の尾田栄一郎に挑む『鬼滅の刃』の吾峠呼世晴。

総合格闘技のような熾烈な戦いは両者への刺激となり、そこからよりよい作品が生み出されるとのこと。世代交代は組織のエネルギーとなり、少年ジャンプが少年誌のトップを走り続けている要因のひとつとなっています。

マンガの編集者って一体?

ところで、マンガ家を支える編集者とは具体的にはどんな仕事をしているのでしょうか?ヒット作を出すことが共通目的の運命共同体だということですが、鈴木先生によると、マネジメントや企画・ネームのチェックに加え、「マンガ家の脳みそに直に手で触れて、マンガ家の才能の最大化の道筋を示す」のだそうです。
例えば、高校三年生で少年ジャンプに自作のマンガを持ち込んだ『キャプテン翼』の高橋陽一先生。最初はSF等を題材にしていたのですが、鈴木先生が「脳みそに手を触れる」と、スポーツ好きな少年であることがわかり、それが大きなヒット作『キャプテン翼』を生み出す流れとなりました。連載中にも鈴木先生が編集者として助言し、長期連載へとつながったとのことです。

また、『JIN』の村上もとか先生は時代考証を基にしたリアルさを徹底的に追求、編集部では監修チームを組んでそれに応えたため、後に映画化もされ、国民的コンテンツとなるまでの作品に成長してゆきました。

『鬼滅の刃』では吾峠呼世晴先生が捨てようとしていた、炭治郎が鬼を思いやるエピソードを編集者が残し、これもまたヒットにつながったということです。

数字で見るジャンプパワー

2021年8月時点で、紙の本とデジタル売り上げを合わせて、

『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴)約1億5,000万部

『呪術廻戦』(芥見下々)約6,000万部

『ONE PIECE』(尾田栄一郎)約4億9,000万部

鈴木先生によると大ヒットする作品は、「設定、世界観を【発明】したマンガ」。
少年ジャンプでのマンガ家の育て方は農耕作と同じで、畑作りから収穫まで時間をかけ、ヒット作を出すまで吾峠呼世晴先生は3年、尾田栄一郎先生は5年をかけているとのことでした。

鈴木晴彦先生の授業を終えて……

私はずっとマンガと共に育ってきた世代です。幼少時は『キャンディキャンディ』に胸を震わせ、長じては『ポーの一族』で萩尾望都の世界観に浸り、後には『スラムダンク』を全巻揃えて、『ONE PIECE』初回は少年ジャンプ誌上で楽しんでいました。今も図書館で『約束のネバーランド』や『ミステリという勿れ』を時間を忘れて読みふけっています。マンガについて語り出すと止まらなくなるほどなので、今回の鈴木先生の授業は以前からずっと楽しみにしていました。
レポートでは割愛したのですが、少年ジャンプ以外の出版社、少年マガジンや少年サンデーの編集部についてのお話も興味深く、業界を上げてマンガを盛り上げてゆこうとする力が伝わってきました。ライバルでもあり同志でもあるような関係性が見えてきて、マンガは日本が世界に誇れる文化のひとつなのだと強く感じた授業でした。
これからも今までと同様、ずっとマンガを愛し続けたいと思います。
鈴木晴彦先生、どうもありがとうございました。

(授業レポート:ライター部 大北美年)

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