第四期6月1時間目の授業は「わかやま熱中小学校」校長・広谷純弘先生の「つながる建築」でした。
「建築」と出会うまで
広谷先生は小学6年生の時、プロの写真家の写真集に感動し、カメラマンになることを目標とするが、夢かなわず、あきらめる。
中学時代には、友人の兄にもらったチケットで行ったジャズコンサートのベースがあまりにかっこ良かったため、ベーシストをめざすことに。
しかし、高校で組んだバンドのピアノ担当が、自分よりベースが上手だったので…挫折。
大学進学に際しては、幼い頃に病弱だったことをふり返り、医学部を受験するも、不合格。
父親の勧めもあり、浪人生も受け入れていた学生寮で過ごすこととなる。
学生寮には建築を学ぶ学生もおり、彼が作っていた模型が楽しそうで、
「求めていたのはコレや!!」
と、工学部建築科に入学し、無事に卒業。
これが広谷先生の建築との出会いだった。
*アートと建築の違いとは
アートは自分と深く対話して作る自立したものとして存在するが、建築にはその場所の景観、地域の文化や経済ともつながっていくという、独特の価値観があるという理念を学ぶ。
かつらぎ町での広谷先生の建築① 山荘 天の里
親の代から親しくさせてもらっているという、島精機の会長並びに会長夫人の依頼で天野にホテルを建てることになった広谷先生。
最初は一つの大きな建物を考えていたが、世界遺産の丹生都比売神社が近くにあることを考え平屋のコテージ型に変更。
周囲にある桜はそのまま残し、周りの景観がより良くなる視点で設計をすすめる。
途中、施主さまの少々無理な?要望もこなしつつ、無事、天野の田園風景に溶け込んだ、木の香りのする洒落た山荘が完成した。
かつらぎ町での広谷先生の建築② 道の駅 くしがきの里
この現場では、骨組みを作って荷重を支える「ラーメン工法」を用いることで、建物の品質の安定と工期の短縮を図った。
柱や梁を現地で組み立ててクレーンで吊るしてゆくことで、現場の土地の広さを有効に使うことができる。
工期短縮には、実際に施工する大工さんとの細かい打ち合わせもとても大切。
緻密な設計と工夫、周りの業者さんとの連携もスムーズに進み、現在の「道の駅 くしがきの里」が完成。大阪、和歌山両方の観光拠点にもなっている。
丹生都比売神社のライトアップ
これまでの建築物のライトアップは、文字どおり「明るく照らす」ことに重点をおいていたが、現在では明るい場所と暗い場所とのコントラストを作ることで建物や風景の奥行を強調し、光と闇の兼ね合いを上手く作り出すのが日本流だとのこと。
LEDの普及が「照明の世界に革命を起こした」と言われるほどの大きな功績となっている。
まちづくりの話 富山の3つのコミュニティセンター
広谷先生はそれぞれ特色の違う3つの地域で、個々の特性を生かしながらも新たな交流を作り出す場としてのコミュニティセンターを設計した。
1.風景が標準化してしまい、その土地らしい景色が薄れてしまっている地域
2.雪の降る量が一番多く、除雪車が必須の地域。地域住民の数も少ない
3.唯一、人口が増えている地域
上記、それぞれ3つの地域の風景に調和し、そして地域の人たちのニーズに応えられるように意見も取り入れつつ、三種三様のコミュニティセンターが完成した。
建物が完成してもそこに住む人々の意識を変えていかなければ本当のコミュニティは生まれない、ということで、広谷先生は木と出会えるまちづくり、というコンセプトを考えた。
街角の標識や水辺のあづまや、バス停の椅子、桜並木の下での憩いのベンチ等、まちの日常に木をふんだんに配置する。
それと同時に、日常にあるアートを見つけるイベントを実施する。
建物を完成させた後、その場所で地元の人々を取り込んだ様々なイベントを継続してゆくことも大切。
また、イベントで使用した木は、必ず町の日常生活の中で再利用。無駄にしないことで自然を大切にする気持ちも芽生える。
AIでつくる建築
広谷先生は、AIを建築の未来の道具として取り入れることも積極的に考えている。
最初の発想や構想は人間、その後のデータ作りはAI、そして最終的に適したものを選ぶのは人間、というかたちになってゆくのではないか、とのこと。
授業を終えて
以上、広谷先生の思い描く 「つながる建築」についての90分でした。
爆笑の渦が起こるオチも所々に散りばめられていて、わかりやすく、そして楽しい講義でした。
広谷先生、どうもありがとうございました。
ちなみに後に調べてビックリしましたが、講義に出てきた建物はすべて色々な賞を受賞されています。
山荘 天の里 きのくに建築賞 グッドデザイン賞
道の駅 くしがきの里 グッドデザイン賞
富山のコミュニティセンター 3つとも 富山県建築賞や中部建築賞や公共建築賞等複数受賞
(授業レポート:前田耕三)
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