24/04/06 NHKプロデューサー 倉崎憲 先生

物語が生まれる瞬間

 

2011年にNHKに入り、ドラマを中心にいろんな番組作ってこられた倉崎先生。

「世界中のスタッフと一緒に世界中の人の心をグラングランに揺さぶれるような、生きる喜びを感じてもらえるような作品を作りたい。」というのが作品を作るにあたっての志だそうです。

 

目次

自己紹介

京都府出身の36歳で、来年公開予定の柳瀬隆さん夫婦をモデルにした朝ドラ「あんぱん」のチーフプロデューサーを務められておられます。

今年9月のクランクインに向けて絶賛準備中とのことです。

過去には、「おかえりモネ」のプロデューサー、「エール」の監督などを務められたそうです。

 

以前は監督業をやっていて、ハリウッド留学に行くはずがコロナで無くなってしまい、それがきっかけでプロデューサーの道に進まれ、企画から始まり全てのこと決定していくチーフプロデューサーを史上最年少で勤めるまでに至ったそうです。

 

倉崎先生は、常に企画を探していて、どこでどういう出会いがあって、どういう景色に心が動かされるかわからないので、とにかく自分自身の体を動かし続けていたいと、熱中小学校の講師として、全国を回っていらっしゃるのだとか。

 

 

ドラマを作るきっかけ

関西同志社大学に通い、サークルにもたくさん入ったものの、毎日が退屈で満たされない中で、19歳の春に旅に出ようとラオスに一人旅に行きました。

途上国のことはテレビを通じていろいろ知ってはいたものの、山奥へ行けば行くほど当たり前の学校もない現状を自分の目で見て、小学校がない村に小学校を立てたいと思ったのだそうです。

 

帰国後、自分たちにできることを考え、1年間にイベントを何回か行い、150万円を集め、ラオスのコン村というところに小学校を建設することができました。

そこで、勉強している子どもたちを見たときに、自分たちがやってきたことことは正しかったと感じる一方で、自分たちの力の微力さをかんじ、世界を変えることができないとも感じられたのだそうです。

 

その後、2008年頃に小学校の建設までの話を綴った本を出版することになり、トントン拍子で映画化が決まりました。

映画化されてからは、反響が大きく、映像の力を感じ、その道に進みたいと感じるようになったのだそうです。

ドラマや映画は生きる喜びを感じられて、死のうと思ってた人がもう少し生きてみようかなとか思える力を与えられるものなんだなって感じて、チャレンジすることに決めたのだそうです。

 

アメリカでの映画専門学校時代

映画やドラマの道に進むことを決め、大学の卒業間際に2ヶ月間、ニューヨークの映画学校に通うことになりました。

そこでは、14人ぐらいで左の写真チームを組んで、毎週一本作品を作る中で、英語が苦手だった倉崎先生は、仲間はずれにされ、いろんなプロジェクトを進めらる状況に陥ってしまったのだとか。

いつもは映画学校まで地下鉄で行っていたが、その日はもう辛くて2時間ぐらいかかる道を気分転換で歩いていたら、アカデミー賞作品のプロデューサーキャロラインバロンさんから声をかけられ、「荷物持つの手伝ってよ」と声をかけられたきっかけで、ハリウッド作品の撮影の現場を見学できることになったのだそうです。

ハリウッド監督の真後ろに座り、キャストやスタッフには白人もアジア人も、黒人もいる撮影現場を見たときに、世界中のスタッフと一緒に世界中の人に見てもらえるような作品を作りたいなという思いが芽生え、それを実現するためにずっと毎日生きているのだそうです。

 

 

ラジオドラマの監督に

NHKに入ったものの、基本的に20代はドラマの監督はできないらしく、4050代の方が多いのだそうです。

どうしてもドラマの監督になりたかった倉崎先生はラジオドラマだったらチャンスがあると気づき、動き始めることに。

「世界から猫は消えたなら」を原作にするため、出版社や原作者の川村元気さんと交渉することになりました。

作品への想いを伝え続けた結果、多忙な中、引き受けてもらえることになったのだそうです。

 

原作を読んだ時に妻夫木聡さんに出てほしいなと思った倉崎先生は、「映画でも、ドラマでも、舞台でも、CMでもできないことをラジオドラマでぜひ一緒にやりましょう」と想いを綴った手紙をチーフマネージャーに渡したのだそうです。しかし、この手紙、宛名の名前が「妻夫木恥様」になっていたとマネージャーから連絡がありました。

それが逆に妻夫木さんの目に留まり、オファーを受けてもらえることになりました。

 

ついに迎えた収録の中で妻夫木さんとの演出の意見の対立の中から、悲しいセリフだとしても役者はそれを笑いながら言うかもしれないし、ある役者は怒りながら泣くかもしれないし、ある役者は泣きながら笑うかもしれない。本当にその人の人生経験そのものが役者の価値であって、それを引き出すのが監督やプロデューサーでもあると感じ、自分自身の人生経験というか、喜怒哀楽をそれまでの人生でね、どれだけ感じたかっていうのがええすごい。作品の幅に関わってくると勉強になったのだそうです。

 

 

朝ドラ「エール」の監督

「栄冠は君に輝く」という夏の高校野球のテーマ曲がタイトルの第20週の回の監督をすることになった倉崎先生。

 

栄冠は君に輝くについて、調べるために書籍を読んでいると、作詞をした加賀大輔さんの奥さんが石川県にいらっしゃることがわかり、話を聞けることに。

 

その中で加賀さんは、自分自身が野球選手を目指していたが、怪我をして、片足を切断しなければならなくなったこと。

それでも、子供たちの応援をしたいと夏の高校野球の新しい大会歌の募集に申し込み、選ばれたこと。

加賀さんは体満足で青空の下白球を終える喜びをふんだんに歌った三番の歌詞を一番気に入ってましたこと。

 

これらを聞いて、倉崎先生は、心が震え、15分の中に一番から三番までええ、全部聞かせるという普通はありえない演出を行なった結果、この回は神回と呼ばれることになりました。

 

2020年、本来であればこの週が夏の高校野球の開会式の週に合わせて放送されるはずだったが、コロナのため、放送時期がずれ、夏の高校野球が中止になってしまい、悔しい想いをすることになってしまいました。

 

すると2021年、夏の高校野球開会式にそれが実現し、球児たちの目の前で山崎育三郎さんが、「栄冠は君に輝く」をアカペラで一番から三番まで歌うことに。

これを見て、倉崎先生はドラマはフィクションだけれど、現実とも繋がることができて、現実の世界に少しでも良い影響を与えられるかという想いを持って、ドラマ作りに励んでいるのだそうです。

 

 

「あんぱん」の企画にあたって

80歳の壁」や「70歳の正解」を読んでいて、60歳以降の生き方が今から不安で仕方がなくて、何をするのが自分の幸せなんだろうと思っていた時にアンパンマンマーチを思い出したところから「あんぱん」の企画に至ったのだそうです。

 

自分より才能がある人をずっと見ていて、毎日憂鬱な中、アンパンマンマーチに出てくる「なんのために生まれて、何をして生きるのか答えられないなんてそんなのは嫌だ」という歌詞をを思い出して、柳瀬隆さんと奥さんの題材ならと企画されたのだそうです。

 

最後に倉崎先生は、「自分に与えられたカードっていうのをフルに生かして、大切に生きたいなと思いますし、グラングランに揺さぶられるようなドラマっていうのを作り続け、本1のプロデューサーに絶対になりたい」と力強く語ってくださりました。

 

倉崎先生、どうもありがとうございました。

「あんぱん」楽しみに見させていただきます。

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