23/05/06 橋本市長 平木哲朗先生 授業レポート
私は橋本市民ですが、市長がこんなに穏やかに話される方だと初めて知りました。 選挙にも行っているのですが……。
ニチイ時代
橋本市で生まれ、父も市会議員、県会議員を歴任した。 小中高とソフトテニス部で、インターハイにも出場した。
大学卒業後、総合スーパーのニチイに就職、10年間子供服の販売をしていた。 サティに社名が変更後、新業態開発部署に異動になり、勤務時間等がハードになった。
岐阜羽島店では、服の販売形式をワゴン販売からディスプレイ販売に変えたところ、 1か月の目標を20日間で達成した。 ここでの教訓は「現状維持は衰退する」ということだった。
市会議員 ・県議会議員
市会議員時代には損害保険の代理店も兼業していたが、県議になった際、とても忙しくなり、妻に継いでもらった。
父が経営していた矢倉脇の紀伊見荘や釣り堀、マスの養殖場の閉鎖には知恵を絞って苦労し、 県立古佐田が丘中学の設立にも関わった。
議員の中には一般質問のみが仕事だと考えているような者がいるが、市会議員は外に出て足を使い、地域に密着することが大事だと平木先生は考えている。
県議の時はR371のバイパスに尽力した。父も県議時代に関わっていた事業で、 ようやく令和6年の春に全線開通することになった。 (この道は私も毎日通っていますので感謝感激です!)
市長時代(財政編)
政治家になることはまったく考えていなかったのだが、自分のやりたいことをするには市長になるしかないと思い立候補した。 以来、今年で10年目になる。
就任したばかりでの頃、初めて予算書を見たときに、橋本市の未来は大丈夫かと不安になった。 継続事業が多く予算の余裕がない状態だったため、 H27年度に財政健全化計画を立案して徹底的に事業を見直し、職員給与のカット、橋本駅前整理事業の中止、道路補修の削減などを実施した。ただ、福祉の切り捨てはしなかった。
合併債、退職手当債などの返済もあり、学校の補修も完結できず、 経費削減のため、2つあった給食センターを一つに統合した。
「市長はお金がないとしか言わない」と言われ続けたが、8年間耐えた。 財政健全化の対策としては、国の補助金をいかに有効に使うか、いかに補助金の情報を得るかが大事。(これは九度山町長もおっしゃってましたね)
現在、紀北橋本エコヒルズ等へ誘致した企業で850人の市民が働いている。 地場産業の活性化については、素材産業から完成品への移行を進めており、 化学繊維を使った毛皮のエコファーがその成功例となるかどうか、先行きを見守っている。
市長時代(市民サービスなど)
はぐくむ条例に基づき、第2層支援協議会を設置し、地域の困りごとを話し合い、助け合う支援を している。 TV電話による窓口業務の試行。 スマホ教室も開催しており、10年後には市民の誰もがスマホを使いこなせるようになっているかも。 子ども食堂や高齢者食堂の設置などもおこなっている。
しかし、 人手不足で職員の採用が難しくなっている。新しく22人の職員を募集したところ、採用できたのは14人。それでも市民は職員が多すぎるというが……。
授業後の感想
最初にも書きましたが、話し方が本当に穏やかでした。 生徒の質問にも丁寧にお答えになっていました。 市長の仕事はほんと多種多様ですね。 山積している課題のすべてに取り組もうとすると、おそらくどれも中途半端になってしまうため、何を優先させるかの決断が市長の大切な仕事だと感じました。平木市長は福祉の切り捨てはせずに、財政の健全化を優先したということです。 どうもありがとうございました。
(授業レポート 読書部 小川浩史)
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